日記

ただいま、福岡、の長い長い挨拶。

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二週間ちょっとの釜山での滞在制作。

みんなと一緒にご飯を食べ、稽古をし、いろんなことを話し・・・
いろんな言語が、いろんな考えが、いろんな感情が飛び交い
単純に「釜山で演劇をしてきました!」ではない滞在だった

たった17日間の生活だったけど、一年にも思える濃い時間だった。
そして、釜山に滞在して最初の記事で書いたとおり、
永山演出のprayer/sを経て、池田美樹演出の素敵じゃないかを経て、の
今回のヤン・ジウン演出

Episode 4. 死の記録 「春子の一日」 ~yesterday once more~

※一日は、韓国語で、ハル → 春子の一日、は、「ハルコ エ ハル」。

という作品に繋がってきたことは間違いない。

その繋がりのひとつの例になるか分からないが、具体的に言うと
今回の企画公演に参加していた多くの俳優・ダンサーからたくさん聞かれたのは
私のウォームアップ方法についての質問だった。劇場でウォームアップしている姿を
多くの人に見られていた。 あれは何をしてるの?なんのメソッドなの?いつから?
あのウォームアップ自体があなたを表現していた、あなたの集中はあそこからくるの?など。

まさしく私が続けているウォームアップはprayer/sの稽古時に原型が生まれ
素敵じゃないかの稽古時に確立された独自のスタイルである。
独自の、というのは、すごいメソッドを編み出したというわけではなく
私自身にしかフィットしないかもしれない、と思われる方法なのだ。

単純にカラダをあたためるだけでなく、集中力と心の開放と体の開放と・・・
んー、説明はとても難しい・・・周りからどう見えるかを簡単に説明すると
イヤホンをして音楽を聴きながら自由に動き回って歌って止まって超猛slowスピードで
徘徊したり突然飛び回ったり泣きそうになったりじーっと佇んだり・・・説明できてない。ひひ

ただ、この集中力の高め方は、作品を選ぶ。疲れるほど深く潜る。
他の作品、例えば前回のパンチネロの時も似たような方法でウォーミングアップ
をしたが、集中の仕方が違う。良い悪い、高い低いではなく、違うのだ。

今回の舞台での芝居と同じか、もしかしたらそれ以上に、くらい感心をもたれた。
これは永山演出を経験しなかったら出会わなかった自分自身との対話方法であり
池田演出がなかったら、これを信じることはできなかったかもしれない。

前に記事に書いたときには「流れを感じている」くらいだったけれど
公演が近づくにつれ、演出といろんな話をするにつれ、その感覚は
確信に変わっていった。出会うべくして出会った演出であり、作品であった。

そして、私が、福岡でなく、日本でなく、アメリカでなく、イギリスでなく、
他のどこでもなく、韓国の釜山で、この作品・企画に関わった人たちと
一緒に過ごして作ったことに、大きな大きな意味がある。

6人の演出家による6作品の連続上演。
どれもそれぞれに魅力的であり、演出家の個性がよく分かる作品だったけれど
共演者、企画参加者、お客さん、さまざまな人たちに、それなりの評価をいただいたのは
間違いなく、この作品、この演出と、私がマッチしたからに他ならない。

なんだか受賞コメントみたいになってるけど、なにかを受賞したわけではありません。。。いひひ

ただ、いろんな方々から手応えのある評価をいただけたことは、ひとつの自信になりました。
単純にたくさんの人に「良かった」と言われたとかいうことでなく、私自身がこの一年間で
釜山で、今回も含め、出会った人の中で、 この人は!!この作品は!!この衝撃は!!
と思うような出会いをした人から、同じように、深い印象を刻まれたというような感想を
いただけたことが、とにかく、次に自分を向かわせる・・・立ち止まっていられない・・・もしくは
逆に立ち止まらずにはいられない・・・立ち戻って考えずには居られない・・・んー・・・あー・・・
言葉が見つからない。日本語はとても難しい。韓国語も難しい。英語も。

そう。なんの言語か、なんて関係ない。言葉で想いを伝えるというのは、とても難しい。
母国語でもこんなに難しいのだ。一番伝えやすい福岡弁でさえ、完全に自分の想いを
表現してくれる言葉はなかなか見つからない。それが母国語でないならなおさらだ。
言葉は完全じゃない。同じ言葉を発しても、発する人が違えば、その言葉は違う意味を持つ。
意味は同じかもしれないけど、印象が違う。同じ人が同じ言葉を発しても、その人との関係性
距離感で受け取る相手が解釈する内容は違ってくる。それでも伝えずにはいられない。
それでもコトバを発せずにはいられない。歌を歌わずにはいられない。カラダを動かさずには・・・

演劇って、なんでしょうね。
え?そんな話?!ふふふ。

生きるって、なんでしょうね。
死ぬって、なんでしょうね。
生活って、人生って、生死って、演劇って。

 

東京に行かず福岡で芝居をしていること。してきたこと。
福岡に住んでいるけれど熊本や長崎で稽古して芝居すること。
福岡を拠点に、と言いながら、永山演出の名が一番に浮かぶこと。
それでも宮崎でお芝居をしたことはない、ということ。
ツアーのおかげで札幌が未知の土地じゃなくなったこと。
福島の人と出会って一緒に作品づくりをしたり、交流したことで
福島がフクシマでも福島第一原発でも東北のあたり、でもなく
福島=彼や彼女ら、になったこと。
韓国がパク・ウネでも韓流ドラマでも政治的問題でもK-popでもなく
私にとっての韓国は、釜山であり、大好きな人たちが暮らすところであり
さらには、今後の活動場所の大きな柱のひとつにもなっているということ。
そしてもちろん、そんな美しいような前向きなようなことだけでなく
間違いなく、深く深刻な、恐ろしく汚い、どろどろとした問題も
同時に存在していて目を背けてはいけない、ということ

 

単純に
釜山で演劇をしてきました!
ではない滞在であったことは間違いない

それは私自身も感じているし
たくさんの人からも真剣にいろんな話をしていただいた
日本と韓国のこと、釜山の演劇のこと、私の芝居のこと、人生のこと
深く考えざるを得ないいろんなことが
頭を駆け巡って脳ミソがドクドク…

生と死と思い出とアイロニーと政治と永遠に終わらない一日と
コトバと想いと伝わらないことと伝わることと、そんなことを
毎日毎時間感じずには居られない作品だった
もちろん美味しいものを食べているときの喜びは相変わらず
これが私という人間なんだなぁーと思ったり。ふひひ

深刻になれば良いというものでもないのは分かっているのだけど
どうしてもいろいろ考えずには…

それでも今回出会えたことだけは真実で
出会いはすべての始まりであり
いろんなことを見つめ直すキッカケであり

とにかく
私は何者なのか、なぜここにいるのか、何をすべきか
ゆっくりゆっくり考えたいと思います
人として、俳優として、演劇人として・・・

感謝。
カムサ。
感謝致します。ありがとうございます。
カムサハムニダ。
俳優生活20周年をずしり感じる滞在でした

 

 

まとまらない、ただいま帰りました、の、ご挨拶でした。

 

 

酒瀬川真世 さかせがわまよ official site