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舞台「PLUTO プルートゥ」を浴びた。

20150209

どうしてもコレが観たくて、韓国釜山から帰国してターミナルを出た3時間後には
夜行バスに乗車して大阪に向かっていました。

早朝に梅田に着き、仮眠をとり、10年前に舞台出演のために2ヶ月ほど生活した
懐かしの大阪をぶらりしてご飯を食べて、会場の森ノ宮ピロティホールに。

昼公演を見て、その夜の夜行バスでまた博多に戻るという強行スケジュールのわりに
V列という座席を残念がっていたのですが、あの劇場はすごく舞台が近くて
V列でもぜんぜん遠く感じることなく、今回の作品について言えば特に
作品全体が見える、のに、俳優が小さく感じない、とても観やすい劇場でした。

そして、開演。

圧倒的。圧倒的な総合力でした。いつもは俳優やダンサーを追いかけてしまう私ですが、
劇場空間の中で作り出される、いやもっと前から、原作のアトムからPLUTOから
手塚さんから浦沢さんから作品に関わったであろう心を寄せたであろうすべての人の
ぜーんぶぜんぶの圧倒的な総合力を浴びました。感想なんて、ない、に等しい。
観るしかない。浴びるしかない。
作品から感じるものを敢えて言葉で書こうとすると…シンプルにこうなる。

愛と敬意。

原作への、作者への、この舞台作品への、あらゆる人への、情熱への、世界への、
すべてのものへの、愛と敬意。

スタンディングオベーションになったけど立つことすらできずずっと座って拍手してた。
係りの人に出てくださいって言われるまで座ってた。最後に劇場を出た観客だった。
作品の持つ力。そして原作漫画への愛と敬意が満載。憎しみの連鎖を断ち切れるか。

PLUTO プルートゥ
漫画を読んだ当時より日本がさらに今、まさに今ビタッときてしまっていることが怖い。
そうすると、なぜ頑なに日本のNEWSが「イスラム国」という名称から離れないのかとか、
報復とか責任とか憎しみとか祈りとか喪失とか愛とか希望とかいろいろブワァ~っときて、
また作品が自分にブワァ~と浴びせてくる。

ほんとに、舞台上にいる出演者、演出、振付、美術、映像、音、照明、などなどなどなど
すべてのまさに総合芸術。
そして、やはり、キャラクターとしては、森山未來のアトムと、永作博美のウラン&ヘレナ の
フォルム、動き、声、細部に至るすべて、と、 大きく捉えたイメージと、双方向から見ても
ほんとに漫画から飛び出して命を吹き込まれたような、でも 人間でなくロボットだと
感じるその動きや立ち姿や話し方や、でも限りなく人間に近づいたロボットという、
なんだろもう、この二人のすごさったら。そしてこの二人をはじめロボキャラとともに
周りで動いてロボ感を表現する3人、と、そのキャラクターの演じ手の四人でひとつの
キャラクターが形成される様とか、そして柄本明さんの天馬博士とブラウのなんというか、
もう、言葉にできない…とかとかとか、出演者だけでも、観て!というしかない感想が続くし、
美術、映像、漫画の取り入れ方、アナログとデジタルのバランス感覚とかとかとか
とにかく…膨大な…言葉で表そうとして、その言葉の物足りなさに言葉を継ぐけれど
それもまた足りないしどこか違うしと言葉をついで・・・尽きないですね

同時代性、新しさ、普遍性、どんな角度ではかっても…また終わらなくなるな
このへんでやめておきます。
「感想なんて、ない、に等しい」と言っておきながら…ダメですね、溢れて止まらず。

 

大阪まで観に行ってよかったです。そのひとことに尽きます。

酒瀬川真世 さかせがわまよ official site